その日の宿泊は、JENさんが借りている民家(海から遠く、津波の被害が少なかったようです)にて、初めて寝袋の中で寝ました。

4月の時点では、専修大学の敷地内にテントを張って泊まることが必須だったのですが、こうして泊まる場所が確保されていることに少しずつ復旧を感じました。

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宿泊所には、20人くらいのボランティアが一緒に泊まりました。
スイス人、モロッコ人ほか、外国の人も目立ちました。
私は外国で起きた災害のために行動できるだろうか…そのときまで想像することさえありませんでした。

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食料はパンやおにぎりなどを持ってきていたのですが、石巻のイオンに車で連れていってもらったところ、生鮮食品やお惣菜、日用品や洋服など、何でも揃っていました。
ボランティアに来てお刺身を食べるとは…と思いつつも、おいしくいただきました。

逆に、小さな商店の営業はとても厳しいという状況も伺いました。



翌日は、車で1時間ほどの距離にある牡鹿半島というところに行きました。
海の深い青さと緑が美しかったです。
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ここは震源地に近く、まだ復旧の作業をする準備も整っていない地域らしいです。
東京に戻って牡鹿半島のことを調べてみて、震災後に1000人ほどの遺体が浜辺に打ち上げられていたこと、半島が5メートル以上も動いていたことなどを知りました。

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着いてからすぐに人気のない寂しさを感じました。
代わりに、大量のカラスの鳴き声が響き渡っていました。
いったい何を漁っているんだろう…考えると恐ろしくなりました。

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浜辺に近い民家や商店は原型を留めているものはありませんでした。
住民の方々は避難所にいるようです。

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この日、私たち5人はサンマ漁港の倉庫の掃除の手伝いをしました。
半地下になっている倉庫は、ヘドロに混ざって色々なものが散乱していて、床が見えないほどになっていました。

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漁師さんとその奥さんたちと、北海道から来ていた逞しいボランティアの男性たちと一緒に作業しました。

泥を含んで重く、さらにぐちゃぐちゃに絡まっている道具を半地下から上げて、ほとんどは使えない処分品として倉庫の窓から外に投げ捨てる(明らかに一時対応…いつごみ処理場に行くのでしょうか)、というバケツリレーを繰り返しました。

重いし、休みなく続いたので、前日のヘドロを片付けとは比べ物にならないほど大変でした。

お昼休憩で奥さんに振舞ってもらったお稲荷さんとおにぎりが、ものすごくおいしかったです。

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休憩後、JENのスタッフさんが力持ちそうな男性たちを連れて来て、私ともう一人の女性の同僚は作業現場をチェンジしました。
私たちは午後は民家の掃除を手伝いました。

やはり漁港倉庫は他のボランティアと比べてかなりハードな現場だったようで、JENのスタッフさんに謝られました。確かに最初は「写真の整理をしてもらうかも…」なんて話をされていましたが、私はかえって充実感があって良かったです。

その後も残っているデスクワークの同僚が少し心配になりましたが、作業が終わってから合流したら、ここまで片付いたと写真を見せてくれました。

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早く漁を再開したいとおっしゃっていました。
少しでも力になれていたらいいのですが。


こうしてあっという間に2日間のボランティアが終わりました。
現地の風景を見たら、私たちのしたことなんて何百万分の1かも分かりません(桁も適正か不明)。
自分が行く意味を考えたり、他人に説明したり、誰かを誘ったりするのは難しいです。
でも自分がそうしたいから、6月も行くことにしました。