私たち5人に割り振られた作業は、とあるお宅の前に積まれたヘドロの片付けです。
ヘドロの山の上から先の尖ったシャベルで崩していく人、四角いシャベルで掘ってすくう人、土のう袋に入れて整理して積み上げる人を、手分けしてやりました。
私もシャベルでがんがん掘りたかったですが、案の定、袋を広げている係の割合が多かったです。
10時から作業を始めて、15時半がタイムリミットでした。
始める前は、午前中に終わらせられるんじゃない?と思いましたが、大間違いでした。
泥はすでに硬くなっていて、中には様々なものが埋れていて、男性でも思い通りにシャベルで掘れません。
ガラスの破片、ダンボール、タオル、洋服、スリッパ、傘、食器、電源コード、ビニール袋…などなど、色々なものがヘドロの中から出てきました。
一つ一つ、誰かのものなんだな…と思うのは途中で止めました。
相変わらず悪臭は続き、ヘドロを掘る度に土ぼこりが舞い、この仰々しい装備は全て意味があるのだと納得させられました。
小休憩をしていたら、その家に一人でいたおばあさんが缶コーヒーを差し入れをくださいました。冷蔵庫がない中で、氷でよく冷やされていました。
「現地の人には、ボランティアさんから震災のことや個人的なことは聞かないでください」と、JENの人に言われていました。
当時の恐怖を思い出してしまったり、ご家族が亡くなっているかも分からないので、とのことでした。
もちろんそのつもりでしたが、こうして逆におばあさんに私たちが気遣って頂き、嬉しい気持ちと申し訳ない気持ちで複雑になりました。
12時にいったん拠点である市立女子商業高校に戻り、敷地内で昼食(コンビニで買ってきたパン)をとりました。
学校自体も2階まで津波がきたようで、1階部分は窓も教室も体育館も悲惨な状態でした。
そして午後もひたすら同じ作業をしました。
土のう袋はどんどん積み上げられていくのに、ヘドロの山自体が小さくなっている実感はしません。
「今日終わらなくても、せめて明日ここにまた派遣してほしい。」と、弱気な考えになってきたとき、救世主が現れました。
それは…ショベルカーです!
現れたというか、その日ずっと同じ区画で作業をしていて、私たちの近くを作業するときに邪魔だったようで(汗)、「どうしても手でやりたいなら止めないけど、手伝ってあげるよ」と言われました。
JENのスタッフさんからは、重機での作業は市がお金を出していて、市も復興しなければいけないので、NGOやボランティアの活動も重要なんだと聞いていました。
そんなわけで私たちも頑張っていましたが、このタイミングとチャンスにより、ショベルカーのおじさま方のお言葉に甘えることにしました。
当たり前ですが次から次へと軽々すくい上げていってくれました。
シャベルでトラックの荷台に放り投げていく人もいました。すごい。。
ポカーン。
こんなに少なく、柔らかくほぐれました。
最後の残りを、シャベルで土のう袋に詰めるところまで手伝ってくださいました。
年齢はずっと上なのに、やはりプロはたくましくかっこよかったです。
オフィスワークのライブドア社員はかないませんね。
おかげ様で、きれいになりました!
土のう袋もずらりと積み上がりました。
家で使えなくなったものも、おばあさんに聞いて外に出しました。
おばあさんが、最後に床に手をついてお礼を言ってくださいました。
私たちは来たいから来てるだけなのに…と、また複雑な気持ちになりました。
おばあさんの息子さんも夜家に来るそうで、それを聞いてホッとしました。
一日目の作業は、結果的にショベルカーに助けられ、小手調べという感じで終わりましたが、それでも体はぐったりと疲れました。
つづく。→「ボランティア体験:漁港の倉庫を片付けました」
ヘドロの山の上から先の尖ったシャベルで崩していく人、四角いシャベルで掘ってすくう人、土のう袋に入れて整理して積み上げる人を、手分けしてやりました。
私もシャベルでがんがん掘りたかったですが、案の定、袋を広げている係の割合が多かったです。
10時から作業を始めて、15時半がタイムリミットでした。
始める前は、午前中に終わらせられるんじゃない?と思いましたが、大間違いでした。
泥はすでに硬くなっていて、中には様々なものが埋れていて、男性でも思い通りにシャベルで掘れません。
ガラスの破片、ダンボール、タオル、洋服、スリッパ、傘、食器、電源コード、ビニール袋…などなど、色々なものがヘドロの中から出てきました。
一つ一つ、誰かのものなんだな…と思うのは途中で止めました。
相変わらず悪臭は続き、ヘドロを掘る度に土ぼこりが舞い、この仰々しい装備は全て意味があるのだと納得させられました。
小休憩をしていたら、その家に一人でいたおばあさんが缶コーヒーを差し入れをくださいました。冷蔵庫がない中で、氷でよく冷やされていました。
「現地の人には、ボランティアさんから震災のことや個人的なことは聞かないでください」と、JENの人に言われていました。
当時の恐怖を思い出してしまったり、ご家族が亡くなっているかも分からないので、とのことでした。
もちろんそのつもりでしたが、こうして逆におばあさんに私たちが気遣って頂き、嬉しい気持ちと申し訳ない気持ちで複雑になりました。
12時にいったん拠点である市立女子商業高校に戻り、敷地内で昼食(コンビニで買ってきたパン)をとりました。
学校自体も2階まで津波がきたようで、1階部分は窓も教室も体育館も悲惨な状態でした。
そして午後もひたすら同じ作業をしました。
土のう袋はどんどん積み上げられていくのに、ヘドロの山自体が小さくなっている実感はしません。
「今日終わらなくても、せめて明日ここにまた派遣してほしい。」と、弱気な考えになってきたとき、救世主が現れました。
それは…ショベルカーです!
現れたというか、その日ずっと同じ区画で作業をしていて、私たちの近くを作業するときに邪魔だったようで(汗)、「どうしても手でやりたいなら止めないけど、手伝ってあげるよ」と言われました。
JENのスタッフさんからは、重機での作業は市がお金を出していて、市も復興しなければいけないので、NGOやボランティアの活動も重要なんだと聞いていました。
そんなわけで私たちも頑張っていましたが、このタイミングとチャンスにより、ショベルカーのおじさま方のお言葉に甘えることにしました。
当たり前ですが次から次へと軽々すくい上げていってくれました。
シャベルでトラックの荷台に放り投げていく人もいました。すごい。。
ポカーン。
こんなに少なく、柔らかくほぐれました。
最後の残りを、シャベルで土のう袋に詰めるところまで手伝ってくださいました。
年齢はずっと上なのに、やはりプロはたくましくかっこよかったです。
オフィスワークのライブドア社員はかないませんね。
おかげ様で、きれいになりました!
土のう袋もずらりと積み上がりました。
家で使えなくなったものも、おばあさんに聞いて外に出しました。
おばあさんが、最後に床に手をついてお礼を言ってくださいました。
私たちは来たいから来てるだけなのに…と、また複雑な気持ちになりました。
おばあさんの息子さんも夜家に来るそうで、それを聞いてホッとしました。
一日目の作業は、結果的にショベルカーに助けられ、小手調べという感じで終わりましたが、それでも体はぐったりと疲れました。
つづく。→「ボランティア体験:漁港の倉庫を片付けました」