なっちゃんのブログ

livedoor Blog のこととか、インドカレーのこととか。

カテゴリ:石巻ボランティア

さて、「石巻で浜のお母さんの話を聞いたり、お酒を楽しんだり」のつづき。

今年の初午の日、3月17日(日)に狐崎漁村の初午祭がありました。
去年は2月27日でめちゃくちゃ寒かった記憶があるけど、今年はいいお天気。

そして去年はなかった、ピカピカの牡蠣処理場!
IMG_3663

この作業小屋の絵はボランティアの方たちが描いたと話に聞いていたので、実際に見れて興奮しました。
IMG_3592

ネット通販がスタートして、全国のお客さんに配送してるんだって!
調べてみたらYahoo!の復興デパートで3月の注文数NO.1が、 この狐崎漁業部の牡蠣セットだったみたいです。すごい!
IMG_3597

なんと私たちにも海から牡蠣を上げてくれて…
IMG_3594

蒸し焼きにしてくださいました!アツアツを一口で頂きました。
IMG_3607

ナイフを使った、殻の開き方も教えてもらいました。何とかできた!
IMG_3604

念のため加熱したけど、やはり生でも食べたいものです。大きくて身がぷるっぷる。おいしい~。
IMG_3600

それからご家庭にお邪魔して、みんなでお昼ご飯を頂きました。蟹!
IMG_3611

ずいぶんゆっくりしましたが、そろそろお祭りもスタート?
漁村センターの手書きの看板は去年のままで、建物は立派になっていました。
IMG_3638
IMG_3640

お祭りの装いで集合!
IMG_3627
IMG_3626

ぞろぞろと神社まで向かっていきます。
IMG_3630

今年もこののぼりを見れました。青空に映えてる。
IMG_3586

歌舞伎みたいな表情、頂きました。
IMG_3633

神社の中での祈祷があって、いよいよ神輿が担がれました。かっこいい。
IMG_3645

今年は他のボランティア団体も参加して、出店が登場!フランクフルトやわたあめやヨーヨー釣りや…。
お祭りの参加者もすごく多くて感激しました。
IMG_3648

餅まきもありました。2つゲット♪
IMG_3652

そして今年も鯨の刺身を食べれました。幸せ。
IMG_3654

集合写真に呼ばれて入り込みました。私たち、キャッキャと賑やかしてました。
画像1

神輿が海沿いに行くと、ダイブしだす猛者たちが。したくなくても、ズルズルズル…
IMG_3668
ドボン!
IMG_3669
ザブーン。ちょっと温かい日でしたが、3月の東北で。狐崎のみなさん、パワフルです。
IMG_3670

家をまわったりした後、神社へ戻ります。
IMG_3677

獅子舞もおじさまがやってます。
IMG_3684

神輿がダッシュでやってきた。
IMG_3679

力強くフィニッシュ!
笑顔いっぱい、和気あいあいの素敵なお祭りに参加させて頂き、ありがとうございました。
IMG_3689

「一度泊まりがけで狐崎に来てね」と言って頂けたので、今度はぜひそうしたいなぁ。
みなさんお酒に強いから、夜通し宴会ですね(笑)


行く度に元気になっていく町と人を見れること、すごく嬉しいです。
次も楽しみ。シャキーン!
画像2
    このエントリーをはてなブックマークに追加

先日、昨年参加した狐崎漁村のお祭りに呼んで頂いて、石巻に行ってきました。

また前日はお祭りの準備のお手伝い…と思っていたのですが、ホヤの養殖のボランティアになりました。

まずは浜のお母さんが借してくださった帽子、袖カバー、手袋とマスクで完璧な装備に。
真ん中が私です。
IMG_3573

作業場はここ。牡蠣の殻を紐に通して、ホヤの卵を付ける道具を作ります。
IMG_3556

ホヤの養殖は牡蠣の貝殻で、牡蠣の養殖はホタテの貝殻でやるのです。最初戸惑いましたが、どうやらツルッとした表面に付きやすい卵と、ザラッとした表面に付きやすい卵とで違うとか。

牡蠣の殻は山のようにあります。というか本当に山。
これに機械で穴を空けて、紐を通します。殻の向きは裏表裏表裏表…で。大きさも大小合わせてバランスよく。だんだん慣れてきました。
IMG_3562

殻の束はこうしてブロック状に積んで、海に放す冬までにたくさん作るんだそう。みなさん息ピッタリ。
IMG_3555

浜のお母さんたちは、作業しながら震災のことも話してくださいました。
一人の方は津波に飲まれたときに乗っていた軽トラから脱出して、泳いだそうです。その瞬間「いける!」って思ったんだそうです。どうやってどこまで泳いだか、どのくらいの時間とかは全く覚えていないそう。いける!って気持ち、すごい。“火事場の馬鹿力”と言うか、それ以上のパワーですよね。


休憩時間には手料理を頂きました。
浜で採れたワカメの酢の物に、茎ワカメとショウガを合えたもの。
茎ワカメがコリコリしてておいしい~。
IMG_3554

メロウドという魚は、ここでしか捕れないんだって。手前はカレイだったかな。
IMG_3563

「牡鹿ふるさと通信」を作っているお母さんもやって来て、「素人が始めたけど、6号まで発行したのよ」と嬉しそうにおっしゃてました。
IMG_3564

とにかくみなさん昔からの知り合いで仲良しで、和気あいあいとしていました。
浜の人同士で結婚すると必然的に一緒に漁業をするので、「仕事も一緒で休みの日に遊ぶのも一緒だから楽しいよ」と話されていました。
公私ともに一緒で仲良しって、東京にいる自分の感覚では難しいので、驚いたし、うらやましかったです。


作業場のすぐ裏は小高い丘で、もう一人のお母さんに勧められて登りました。
IMG_3565

IMG_3566

震災のとき、ここに避難したけれど津波はすぐに来たんだそう。
ちょうど鹿よけのロープを張っていたので、みんなにそれにしがみついて、それからもっと上の方まで逃げたと言っていました。
IMG_3570


午後の作業を終えて隣の現場へ行ったら、陽気なお父さんが「歌を聴いてくれよ」と言って車から大音量で「演歌兄弟」を流し始めて笑っちゃいました。
「楽しく働かないとね~」とのことです。素敵。
IMG_3574


帰り道の途中、「地震があったら津波の用心」と彫られた石がありました。一昨年ではなく、昭和8年3月3日に昭和三陸地震の教訓を記した石だそう。忘れないこと…難しいですが、活かさなくてはいけませんね。
IMG_3575


それから、昨年6月にオープンした石巻まちなか復興マルシェに連れて行ってもらいました。
残念ながらお客さんは少なかったですが、土産物が充実しているほか、震災直後の写真の展示などもあり、行ってよかったです。私は仮面ライダークッキーと鯨カレーを買いました。
IMG_3579

そして復興マルシェから川を挟んで石ノ森萬画館が見えます。ちょうどリニューアル中で入れず残念。今はオープンしているので、今度ぜひ遊びに行きたいです。
IMG_3577

翌日の狐崎のお祭りに向けてボランティアが大勢参加しているということで、夜はJENのスタッフさんが宴会を開いてくれました。
石巻の居酒屋で飲んで、バーにも行って、ダーツもしちゃって、すっかり楽しく過ごさせて頂きました。

つづく。
    このエントリーをはてなブックマークに追加

ブログネタ
3.11 東日本大震災について話そう に参加中!
東日本大震災から2年。
当時のブログを読み返しても、具体的な描写を避けていて、自分に起きた細かい状況を記してはいませんでした。
今、忘れたくない記憶と感情を残してみます。
P5140843

あのとき私は西新宿の25Fにいて、あまりに大きな揺れで同僚たちが一斉にざわつきました。長い長い大きな揺れが終わったと思ったら、余震が何度もきました。窓から見える西新宿のビル群がぐにゃんぐにゃん曲がっていて、隣同士でぶつかるのではないかと思いました。
安全のためと、酔って気持ちが悪いため、私は何度も机の下にもぐって床に座って休みました。

まず状況を確認したのはTwitterで、それから2chまとめブログで写真や動画を見て、ひどい災害が起きていると知りました。
でもそのときはまだ本当の実感は湧いていなくて、津波が起こったからといってあんなに多くの人命が失われるなんて想像もしていませんでした。

遠くで大きな炎が上がったとき(千葉の石油コンビナート爆発でした)、窓へ駆け寄って撮影する同僚を下品だなと思いましたが、そうではなかったかもしれません。今回の震災ではたくさんの方々が動画や写真を公開し、私たちに多くの真実を伝えてくれたと感じています。

会社で帰宅指示が出て、私もキリが良いところまで仕事をしてから17時半頃に出ました。
@livedoorblogのTwitterで帰りの挨拶とみなさんも余震に気をつけてください、といった内容をツイートしたら、フォロワーさんから「交通機関が麻痺しているから気をつけて」「道路でも屋根や看板が落ちてきたりするので注意するように」など、多くのリプライを頂きました。混乱した状況で他人を心配してくださる方がこんなにいるなんてと、人の温かさを感じました。

オフィスビルのエレベーターはずっと止まっていたので、25Fから1Fまで非常階段で降りたのですが、階段や踊り場にはパラパラと剥がれ落ちた壁の塗装が散乱していました。降りるのは一苦労でしたが、同僚たちと一緒だったので心強かったです。

私の家までは歩いて30分ほどの距離だったので無事に帰ることができましたが、あの日は首都圏の多くの人が帰宅難民になっていました。
大崎で働いている友人が横浜市の実家に帰るのが無理なため私の家に泊まりに来たのですが、夕方頃出発して4時間半歩き、夜遅くに地下鉄が再開してからうちに到着しました。ヒールの靴で、本当に疲れたと思います。
一方で私の上司の判断はかなり早く、地震が起こってすぐにドンキホーテに自転車を買いに行き、埼玉の家まで走って帰っていました。家族を守る父、夫は強いですね。

私もなかなか繋がらない携帯で、家族の無事と家に帰れることを確認できてホッとしました。

家に帰ってテレビをつけ、どこも地震と津波のニュースしかやっていなくて、気仙沼の火の海を見て、いよいよ本当に実感が湧きました。死者の数がどんどん上がっていくことに恐怖を覚えました。
友人と「信じられないね、やばいね…」を繰り返していました。

P5150912

翌日は土曜日です。
ニュースを見ると状況はますます悪化していて、こんなときに何をするのが正解か分からないまま、友人と新宿まで出てインド料理屋でランチをしました。あちこちに閉まっているお店がありましたが、そこはいつも通り営業していて、友人とおいしいカレーを食べて「ここにいると地震があったなんて信じられないよね」と話しました。

それから友人と別れて、心細く家で過ごしました。

地震の翌日カレー屋に行ったことは少し後ろめたく、公には言えませんでした。
あの後ネットで「不謹慎」と「恐怖を煽り過ぎ」という言葉が多く見られました。冗談や軽卒なことを言ったら不謹慎、過剰な警戒の呼びかけなどは恐怖を煽り過ぎ、です。
私も自分自身、そして他の人の言葉にもかなり敏感になっていたと思います。

出社制限があって自宅勤務が増えました。原発の事故はこれまでに感じたことのない恐怖でした。節電するため寒かったり、暗かったりしました。買い物に行ってもヨーグルトや納豆がなくて、自動販売機でも水はどこも売り切れでした。
東京にいても余震や放射能にビクビクしていましたが、ニュースで被災地の状況を見れば自分の非日常など何でも耐えられました。

2ヶ月後、5月に宮城県の石巻にボランティアに行きました。
何か伝えなくてはと思い、ブログにも書いています。
石巻にボランティアに行ってきました
ishinomaki 022

それから今日までに6回、石巻に行っています。だんだんボランティアの役割は減っているように感じるのですが、この2年の節目で放送されるテレビの特集などを見ると復興は全然進んでいないという現状が映し出されていました。多くは国、行政としての課題が訴えられているようですが。

今週末に、去年お手伝いした狐崎漁村のお祭りに参加します。また声をかけて頂いたこと、とても嬉しいです。
自分にできることって、まだあるのかなと度々思うのですが、きっとありますよね。
時間が経つにつれ少しずつ薄れる意識をまた戻して、これからも関わっていきたいと思います。
    このエントリーをはてなブックマークに追加

11月1週目の土日に、石巻ボランティアに行ってきました。

今年2月に狐崎浜のお祭りの手伝いをして、それまで力仕事ばかりだったボランティアの役目も落ち着いてきたようだったので、その後行くことに気が引けていたのですが、今回また同僚や友達に「行きたい」と言ってもらえたので企画しました。

今回もまた金曜夜発の夜行バスで石巻へ。
早朝に到着して、寒さにビックリしました。そして変わらない石巻駅がありました。
IMG_3389


今回は「農地再生プロジェクト」が始まったとのことで、農家のみなさんのお手伝いをしました。
私が参加したJENのボランティアでは、震災後しばらくはヘドロ掃除やがれき撤去で、半年くらい経ってから漁業復興のお手伝いをしましたが、農業に関しては1年半以上経ってから復興作業に入るということで驚きました。

そう言えば、石巻市街は道もきれいになったし、一見震災があったとは分からない風景も多くなりましたが、人々の生活が元通りになっているのではありませんよね。
今回作業する畑も、がれきは重機で撤去されているものの、草ぼうぼうに荒れていました。
IMG_3395

まず農家の方と、JENのスタッフから話を聞きます。
今回も三井物産さんと一緒です。いい会社だなぁっていつも思います。
IMG_3390

みんなで雑草やゴミを取ります。
道具の使い方のコツを覚えると楽々根っこまで取れたりして気持ちいい。
IMG_3402

体を動かしてどんどんきれいになって、けっこう楽しいです。写真は私の友達。
IMG_3401

てんとう虫も葉っぱにとまってた。かわいい。
IMG_3398


雑草は一ヶ所に集めて山のようになりました。ゴミは土のう袋に入れます。
IMG_3394


以前ビニールハウスに使われていた鉄の支柱も土の中からたくさん出てくる。
IMG_3408

ボルトもたくさん散らばっていました。
IMG_3406

だいたい整ったところをトラクターで整備。
でも雨が降るとまた地中から色々出てくるから、これを何度か繰り返すそうです。
IMG_3403

農家の方の被災した家が、畑の前にぽつりと建っていました。
「震災記念館にして入館料とろうかな」なんて明るくおっしゃっていたけど...。
画像8

ご自身は津波のときに「あの奥の家の庭の木によじ登って、しがみついて助かったんだよ」と話してくださいました。
IMG_3410

作業を終え、帰途に。夕日がとても綺麗でした。
IMG_3412

スーパー銭湯「元気の湯」でリフレッシュ。
IMG_3416

夜は石巻で人気の「さかな処 三吉」というお店を教えてもらって行きました。
お刺身が本当においしい!
画像1

ウニもおいしい!日本酒もおいしくて、疲れてたのと重なって酔いましたw
石巻に来て、大賑わいのお店で飲んで酔っぱらえるなんて...楽しかったです。
画像7


そして日曜日。
この日も農業支援でしたが、別の方の畑の作業です。復興もみんな平等にね、なんて言ってました。
画像5

この日の畑はまだまだ地中にがれきが残っているということで、雑草も取りつつ、シャベルで掘りつつの作業でした。
大小の石や側溝のふた、畑に使っていたと思われる鉄の部品、布やビニールがたくさん。
そして生活を感じるものもたくさん埋まっていました。食器の破片、麻雀牌、洋服、おもちゃ、窓枠などなど。
画像12

大きなものは、みんなで掘る。脚立とかも埋まっていました。
画像13

最後に集めたゴミを燃えるもの、金属、ガラス・陶器に分類して土のう袋に詰めます。100袋くらいできました。
画像6

差し入れに朝採ってきたというカキを頂きました。
皮ごとかじるのは初めてですが、甘くておいしかった。当たりだったかな?
画像2

作業中トイレを貸りたコミュニティセンター的なところでは、ハロウィンパーティーをしていた(11月だけど)。ボランティアの学生さんが子どもたちと遊んでいたみたい。みんな偉いなぁ。
画像10


作業は時間が来たので終了ですが、この畑からはまだまだたくさん出てきそう。
周辺にも手つかずの田畑がいっぱい広がっていました。本格的に畑として使えるのはいつになるのでしょうか。

終了後にみんなで丸くなって一言ずつ振り返りをしたのですが、他のボランティアさんの思いや、現地の方々の「復興したい」という気持ちがすごく伝わってきて刺激になりました。私も今回の農業支援は初期の活動内容とリンクして、まだ自分も役に立てることがあると感じました。また来なきゃ。


帰りもいつも通りバスで仙台まで行って、新幹線で東京へ。
仙台駅で食べた仙台牛のカレー定食、おいしかった!
画像3







    このエントリーをはてなブックマークに追加

石巻・狐崎漁村のお祭りに参加しました(前編)」のつづき。

2月27日、2012年の初午祭です。
漁村センター前に、日本昔話に出てきそうな衣装の人たちが続々と集まってきました。
IMG_2799

何か始まる予感!
IMG_2800

白装束の人たちはお神輿の担ぎ手。企業でボランティアに参加している三井物産の方々も加わっています。
IMG_2805

それぞれの担当の道具を手に持ち、一列に並びました。
IMG_2813

若手から、おじいちゃんたちまで。
IMG_2811

子どもたちや奥様方も大集合でわくわく(後の餅まきを楽しみにしていた模様)。
IMG_2812

いざ出発!
IMG_2815

昨日作った門をくぐって、神社への階段を上っていきます。
IMG_2819

IMG_2824

神主さんを迎えて、神社の中でご祈祷が行われました。
初午祭は代々漁村の男性たちで行ってきたお祭りで、女性が列に参加したり、神社の中に入ることは禁止されていたそうです。ただ、今回はボランティアを受け入れたり、女性の参加も認めたり…みなさんでたくさん議論されて新しいチャレンジをされていることを感じました。
IMG_2828

ご祈祷を終えて出てきました。笑顔くださいっ。
IMG_2831

すぐ一服する人たち。
IMG_2832

お神輿来たー!
あとここでお賽銭もまかれました。節分祭の豆まきみたいでした。
IMG_2834

神主さんは女性と男性。カッコいい!
IMG_2842

先頭のリーダー(?)が塩を撒いて、神輿隊が続きます。
IMG_2843

掛け声は「チョーサイ!チョーサイ!」
IMG_2844

「いい写真撮ってください。また絵はがき作るかもしれないから。」
と言われてジーンとしました。元気な狐崎のお祭りの絵はがき、欲しい!
(でも私の素人写真じゃお恥ずかしい…ちゃんとカメラマンさんもいたのでバッチリなはず)
IMG_2847

みんなでぞろぞろ続きます。
IMG_2852

漁村センターまで戻ってくると、みなさんお神輿にお祈りしていました。
IMG_2857

そしてお待ちかねの餅まきです!
みなさんの気合いがすごかった!屋根の上からまかれる餅を、各自持ってきたビニール袋にたくさんキャッチしていました。
私は餅が固くて痛いしあたふたして1個だけしかゲットできず。。
IMG_2860

IMG_2864

「何個取ったの?」
「数えきれない」でへっ。
IMG_2865

ここでお昼ご飯タイム。三井物産のリーダーさんも甘酒とちらし寿司おにぎりをおいしそうにガブリ。
IMG_2867

そしてまた練り歩き…
IMG_2877

その年に選ばれたおうち(?)の玄関先に入って、またお酒を飲んで大福食べました。
IMG_2880

海岸までやってくると…
IMG_2881

一人ずつ海に足を入れてバシャリ。胸まで浸かる強者も!
埋め立てられていなかった頃は神輿を担いだまま海へ入ったそうです。この寒い中、すごすぎますね。。
IMG_2887

そして2件目のおうちへ。親子で参加!
IMG_2892

おじいちゃんが焼き鳥くれたり、またお酒を飲んだり。みなさんよく飲まれます。
IMG_2894

そして神社へ帰ります。
IMG_2899

最後は笑顔でダッシュ!
IMG_2902

神社前のダッシュは3回繰り返されました。
寒いしもうヘトヘトなはずだけど、とってもパワフルでした。
IMG_2903

IMG_2904

こちらで終了。お疲れ様でした!!
IMG_2905

帰りに、参加者全員に記念品が配られました。名前入りのお札、大切にします。
BlogPaint

狐崎漁村は震災の人的被害は少なかったものの、そのため支援が後回しになり、漁業の再開が大きく遅れていると聞きました。ただその分、住民が一体となって伝統を守り続けようとする精神を強く感じました。
元々県外の人はもちろん、石巻市内の人たちにとっても足を運ぶような場所ではなかったそうですが、今回私たちボランティアを温かく迎えてくださったこと、狐崎について色々話してくださったこと、とても感謝しています。



今日で震災から丸一年。
先日は石巻の市街地を一人で歩いて、がれきが撤去されて更地になっているのを見ましたが、震災全体で生じたがれきの処分は6%しか進んでいないそうですね。日が経つにつれ、東京にいると意識が薄れてきてしまう自分が情けないです。それは自然なことだとも思いますが。
IMG_2792
また新しい一年、復興を少しでも応援できればなと思います!
    このエントリーをはてなブックマークに追加

このページのトップヘ